名古屋の転職支援プロが教える転職ルール

名古屋で転職支援12年の経験を活かして、他では聞けない名古屋の転職にまつわる話を書いています。

タカシの転職経歴について

名古屋の転職コンサルタントのタカシです。

 

今日はタカシの自己紹介ページです。こんな人間がブログ書いています。

 

☆目次☆

 

 

新卒入社企業での出来事

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配属勤務地の決定

私は社会人になって、とある『7』がつくコンビニエンスストアを運営する本部会社に就職しました。その配属が名古屋だったので、今のタカシが名古屋にいます。ちなみに希望は関東でした。関東出身なんです。北関東ですが・・・。

その経緯としては、こんな感じでした。入社も1か月前に差し掛かった頃、人事から電話をいただきました。

 

人事:タカシ君さー、名古屋は立ち上げエリアなんだけど、名古屋でやってみない?

 

タカシ:立ち上げっすか?面白そうですねー!では、名古屋で!!

 

今振り返ると、この1分ほどの電話で、私の人生は決まりましたwww

 

結果的に、15年以上名古屋に住み続けているので、本当にありがたい電話だったなと思います。裏話をすると、当時まだ名古屋に出店したばかりということもあり、名古屋配属希望の人が目標人数に対して、未達だったそうです。そこで、秋採用で名古屋新卒を採用し、不足分を近隣の静岡にいる人を中心に名古屋異動を打診し、名古屋の新卒同期が集められたそうです笑。

経験内容

キャリアとして、店舗で店員、店長を3年。スーパーバイザー(以下SV)を1年半経験しました。 店長の時は、10年以上前のいまだから言える話ですが、1か月以上の連勤や72時間連続勤務とか、いろいろな経験をしましたwww。当時はそういうのが、まだ残っている時代でした。SVになってからも月3~4日の休みで、朝から晩まで働いていました。

ある時の年末のオーナーさんとの会話です。

 

12月31日

 

タカシ:オーナーさん、今年もお世話になりました!

 

オーナーさん:こちらこそお世話になりました。来年もよろしく!

 

 翌日。

 

1月1日

 

タカシ:あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!

 

オーナーさん:あけまして、おめでとう。今年もよろしくね。

 

 

ぜんぜん年明けた、雰囲気ないじゃん・・・w

という感じで働いていました。

 

転職理由

一方、プライベートは、26歳の時に結婚をし、27歳の時に第1子が生まれました。子供が生まれて思ったのは、「オレ、何のために結婚したんだっけ?」「子供がいるんだっけ?」でした。

お金は年齢の割には稼いでいるけど、(当時年収600万円弱)家族との時間はないし、それで良いんだったんだっけ?これが転職のきっかけでした。

 

けどね、、、。本当はもう1つ理由があります。

 

実際は、そんなキレイごとだけではなくて、当時ある担当店のオーナーさんが、激高型で、激情型な人ということもあり、その担当がすごい嫌で、、、。せっかくの数少ない休みの時にも電話かかってくるし。自分が強く言えるタイプであれば、問題ないんでしょうが、がーっと来られると、真に受けてしまうタイプなので、だいぶメンタルもまいっていて、これも転職の大きな理由でした。

 

そう、逃げの転職だったんですよね。そんなことは転職理由では言えない話ですが、本音はここでした。

私の転職活動スタートはこんな感じでした。

 

転職活動のスタート

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業界選びポイント

ということで、転職活動をはじめました。

転職の軸としては、SVとして、店舗経営の支援をしていたので、『ヒト、モノ、カネ、ジョウホウ』に興味持っていて、その中で、一番そうはいっても大切なのは『ヒト』でしょー!と思っていたので、人材業界を志望することにしました。単純すぎへんっ!?と思うけど、人材系を希望される方はそういう方が多い気がします。

 

その中で、人材紹介というビジネスがあることを知り、サービス利用したこともないのに、人材紹介業界にいくと決めました。人の人生の一端に介在できるのってイイなと思ったんです。今思うと、ちゃんともっと下調べして行けよとちょっと自分自身に呆れています、、、。

 

後、職業以外に3つ決めていたことがあります。

大手はいかない

前に在籍していた『7』がつくコンビニの会社は、当時社員数5000名の会社でした。(※実は合わせてすごいのは、その当時それだけ社員がいるのに全社平均年齢が20代だったんですよね。新卒を300人採用していました。)

ただ、それだけ人数が多くいると、正直歯車の1つでしかなかったという点が一つありました。私は出世が遅かったのですが、それは店舗出店が多く、店舗運営の人出が足らず、店舗の回された経験が長かった経緯があります。

あとは、ほんとにお恥ずかしい話なのですが、取引先は我々がお客様なので、持ち上げてくれるのですが、それを自分の実力と勘違いしていて、取引先を20代の若造のわたしが、偉そうに対応していた時期がありました。

この2つの経験で、自分の成長を考えた場合に、大手ではなく、中小、ベンチャーで働くことで、自分の実力が身に着けられると考えました。

転勤がない企業

次に転勤がない企業が良いと考えていました。理由は子供に親の都合で転勤はさせたくなかったから。自分は親の転勤のおかげで、環境が変わることで救われた部分があって、今の自分があるので感謝しているのですが、子供には地元で育って、地元の仲間とコミュニティを大切にしてほしいという想いが強かったので、転勤がない企業を選んでました。そういった意味では上記の中小ベンチャーの選択と方向性は一緒でした。

基本土日休み

あとは、休み。休みが少なかった反動ですね。店長の時に、とある大きな公園前の店舗を担当していたのですが、土日は家族連れであふれて、忙しい思いをしたのを根に持っていて鮮明に覚えていて、おれも土日休みたい!!!っていう気持ちが強く、土日休みを選択しました。

その点では、人材紹介の営業は法人営業も行うので、土日休みだし、愛知本社で人材紹介を地元に対して行っている企業にターゲットを絞り、転職活動をしました。

 

希望を満たすために選んだリスク

年収ダウン

最終的に今の会社にお世話になることにしたんですが、年収は200万円以上下げました。当時、子供が生まれて、4か月。当時の僕に言いたい。

 

『おまえ、バカだろ!!』

 

でもこのバカな判断があったから、今の僕があるんですよね。それを認めてくれた奥様にも感謝。ただ、実際はそのあと、リーマンショックが起きて、それ以上に年収が下がったのは、ここだけの話ですwww。

 

 おススメはしませんが、年収を下げれば、自分のやれることの可能性は広がるんですよね。

 

いざ、面接時に苦労したことf:id:kaneko_gen:20160921071020j:plain

店長、SVの仕事は営業として認められない

これ、結構衝撃でした。小売流通は現場が営業。だから、営業職に転職するのは容易と考えていました。けど、基本、小売流通は受け身の営業。営業会社では営業としては認めていただけないんですよね。だから、面接でも何かかみ合わない。けど、何が違うのか、わからなかったんです。この点をアドバイスいただける人がそばにいればと今は思っています。

逃げの転職であることが面接でバレる

当時は、自分一人で転職活動していたので、アドバイスしてくれた人はいません。そんな状況で面接が上手くいかなかったんですよね。それもそのはずで、客観的に年収200万下げてまで、転職するっていうのは、よっぽどの理由ですよね。しかも子供生まれたばかりだし。何か他に理由があるのは容易に想像がつきます。

そう、今の仕事を逃げたいんだろうなというのが、面接官に伝わっていたんですよね。そのため、面接は6社くらい1次面接で落ちました。

あったらいいなの転職エージェント

今思えば、こういう時に転職エージェントがそばにいたら、違っただろうなと思います。フィードバックがなかなかもらえないと改善ポイントがわからないですもんね。ということで、私は改善がなされないまま、転職活動は続いて行くのでした。

そういった中で、求人広告でみつけた、名古屋本社のベンチャー企業で、人材紹介の立ち上げメンバーの募集でした。

 

転ご縁いただいた今の会社

捨てる神がいれば、拾う神ありとはよく言ったもので、改善はできていませんでしたが、今の会社は僕を採用してくれました。今思うと「そんな採用基準の会社で大丈夫か?」という気もしますが、採用のポイントは企業理念への共感でした。そして、転職先が決まりました。

 

転職から「いま」

 そういったご縁があって、早12年目。今もこの会社で転職コンサルタントとして働いています。この間、リーマンショックが起こり、メンバーが私1人になったり、マネージャーに昇格したり、仲間も増え、紆余曲折を経て、今があります。

その間、ずっと名古屋で働いてました。名古屋の企業とずっと接してきました。名古屋で転職したい人とずっと対峙してきました。そんな私、タカシがこのブログサイトは運営しています。10年以上この地区で現場の第一線で勝負し続けてきたからこそお伝えできることが多いと自負してます。

ご興味いただけた方は是非、ほかのページもご覧ください。

 

 

それでは、では。